9月18日(晴れ)
8:25広河原、10:40二俣、13:40肩の小屋、14:30北岳山頂、15:25北岳山荘(小屋泊)

 芦安のバス停にはシルバー・ウイーク前日と言うことでお客は10数名。その半分は釣り人のようだ。北岳に向うのは私だけ。秋色に変わった二俣に夏の名残りのミヤマハナシノブが数輪。八本歯経由の場合、北岳山頂はピストンとなる。コースを1本の線に繋ぐ為、肩の小屋経由で山頂に向う。




ミヤマハナシノブ

 右俣の急登で重荷が肩に食い込み、暑さも加わってバテ気味になる。山頂では数人の登山者がカメラを持って駆け回っている。今日は富士山も鳳凰三山もご機嫌なのだ。北岳が大好きだった夫の骨を山頂のお地蔵さんの横に埋める。ここで軟弱者の私はテントをやめ、小屋泊まりに変更。本日の宿泊客約30名。明日からの5連休は連日200名を越すとか。
 今年、北岳から白峰南稜に向う登山者は私が初めてらしい。それも、女性(中高年)の単独、と言うことでフロントのお兄ちゃんに感激(心配?)されてしまう。





9月19日(曇り)
5:55北岳山荘、7:40間ノ岳、8:45農鳥小屋、10:50農鳥岳、11:30大門沢下降点、12:05広河内岳、14:15白河内岳(テント)




 のんびり朝食を食べて出かける。このコース、農鳥小屋を越すと伝付峠まで水場は無い。池の沢の源頭に下れば水も有り、焚き火も出来るらしいが、単独では焚き火も寂しいし登り返しも面倒。水を背負って出来るだけ先に進むことにする。間ノ岳、農鳥岳を過ぎるといよいよ未知の世界に入って行く。農鳥小屋の主人は「良い所だから楽しんで!残したいから荒らさないでよ!」と言う。




ガスっていたらルートが分かりにくい「広河内岳」付近も今日は良く見えている。池の沢への道を右に見て、順調に「白峰南嶺」に乗ることが出来た。とりあえずは難関を1つクリア。このコースは左に富士山、右に塩見岳、蝙蝠岳を見ながらのルンルンルートだ。だが、とにかく荷物が重い。大籠岳あたりはだだっ広く、踏み跡もはっきりしない。良く見るとケルンが並んでいるので探しながら行く。が、たびたび道を外し、キョロキョロ探す。出来れば「笹山(黒河内岳)」まで!なんて思ったりもしていたが、とんでもない!ヘロヘロ、ヨタヨタで「白河内岳」を越す余裕も無く、広い稜線上の吹きさらしの所にテントを張る。大門沢下降点からここまで、人にも動物にも会わなかった。ゆっくりお茶を沸かし、ワインタイムとするが、くたびれ果て、まだ明るいうちに寝袋を被って就寝。熊が出ないことを祈りつつ!




9月20日(快晴)
6:00テント場、6;05白河内岳、7:40笹山北峰、8:05笹山南峰、10:05白剥山、10:40奈良田越、13:05転付峠、13:10水場(テント)

 なぜか、目覚まし時計鳴らなかった!今日は転付峠で「松島P」と合流予定!あわてて朝食を食べ、何とか6時に出発。ところが、白河内岳の下りでケルンを見落とし、道を外す!ここが第2の難関だったのだ。直進してから左の尾根に乗るのだが、下り過ぎた!少し登り返すが面倒なので藪をトラバースする。ところが、軽いと思った藪がとんでもない大藪!幹や枝に乗って頭の上までのハイマツを掻き分ける。地面は70−80センチ下である。腕も脚もくたびれてくる。全く登山者はいない。「このまま力尽きたらどうしよう〜!」と弱気になったころ、左の樹林の奥が明るく見え、そちらに向うと赤布と踏み跡があった。たった30分の藪との格闘だったが、自分では2時間以上にも感じられた。




 樹林の中は良く見れば赤布も頻繁にあり、踏み跡もそこそこある。それなのに何度も道を外す。そんな時、始めて、人に会う。ちょっと体裁が悪い。さすが、「笹山」は『山梨100名山』。3Pと会う。このあたり、ほとんどコメツガ林で展望も無い。奈良田越からの古い林道(車道)はカラマツの幼木を掻き分けながらの道。これが約3時間も続くので嫌気がさす。すれ違った登山者が「北岳からの人ですか?お仲間が峠で待っていますよ」と言う。松島Pが転付峠に着いているのだ。焦っても仕方が無いけど焦る。
転付峠に着くと、松島Pのテントが無い!・・・と、東海パルプの標識の上にメモ!「水場にテントを張っています。松島」“えぇ〜?明日は登り返し〜!”と思ったけど、背負い上げてくれたワイン、枝豆、ローストビーフに大感激!10分の登り返しなんて、何のその!“豚汁も美味しかったー!”この日は13時過ぎから延々、宴会をしてしまったのです。(松島Pは10:30から飲んでいたらしい)





9月21日(快晴)
6:05テント、6:15転付峠、9:15天上小屋山、10:20生木割山、11:50椹島分岐、12:40笊が岳、14:00布引山(テント)

 今日は所の沢越えの水場まで行く予定だった。しかし、松島Pの豪華食事の誘惑に負け、一緒に布引山まで行くことに。お陰で今日も水、2,5リットル、背負う事になってしまった。タダでさえ登りの遅い私、荷物の重さが加わり、松島さんのスピードに付いて行けない!「ゆっくりして〜!」お願いしているのに松島さんは早い!途中で諦める。みんなが休憩している間に、少しだけ先行する。しかし、すぐに松島さんが追いついてくる。恐ろしい“後期高齢者”だ。ヨレヨレで着いた3度目の「笊が岳」は今日も快晴&大展望。富士山の上に小笊。西に南アルプス南部の盟主たち。荒川、赤石、聖岳。北には遠く北岳が見える。北岳は遥かに遥かに遠い。「私、ほんとにあそこから来たのかな〜?」自分でも信じられないほどに北岳は遠くに見えた。「でも、まだ1日半、歩くんだよな〜!」笊から1時間。やっと辿りついた「布引山」。今日は常陸さんの特製「酢豚」です。またまた、松尾の粗食食材はお持ち帰りになってしまったのでした。





9月22日(曇り、ガス)
5:35テント、6:50所の沢越、6:55水場、7:35崩壊小屋跡、8:50稲又山、10:10青笹分岐、10:25青薙山、12:00池の平、12:50青薙山登山口、13:30沼平ゲート

 今朝の富士山は一段と素晴らしい!朝焼けの中にぽっかりと浮いている。日の出も凄い!しつこくしつこく写真を撮る。昨日楽しんだ分、今日は頑張らなくてはならない。




雨畑ダムに下山する松島Pより1足先に出発する。いきなりの急坂である。踏み跡も薄く、相変わらず、時々外す。途中はガレの縁を下る。暗かったらとても歩ける道ではない。昨日背負ってきた水は一滴も残っていない。所の沢越から5分の水場で500cc汲む。天場にもなっている所だが鬱蒼とした樹林の中。おまけに水はチョロチョロで汲むのに時間がかかる。あまり快適とは言い難い。昨夜、ここまで来なくて正解だった。
 所の沢越から稲又山までが今回、3つ目の核心である。ネットのコピーと地形図を片手に歩くがどうもはっきりしない。踏み跡も不明瞭である。何度も赤布まで戻ってルートを探す。最悪は稜線通し、と思いながらもつい、ショッキングピンクのテープを探してしまう。稲又山山頂は東から回りこんで登る。青薙山手前は広々していてどこがルートか良くわからない。…かな?と思うところを行くと山頂だった。




 このあたりからガスが出てきた。天気は下り坂である。赤崩が近づくあたりから稜線を離れ、窪地の草地の中を歩く。サラシナショウマの大群落もあるがほとんど終っている。赤崩を通過し、振り返ると物凄い崩壊で見るのも恐ろしい。大き過ぎてデジカメの画面にも入りきらない。長居は無用!と、急いで通過する。このあたりは静岡中央警察の「立ち入り禁止」の黄色いテープがしっかり付いている。池の平で昨日所の沢越に泊まったカップルに追いつく。虫が凄くて落ち着いて休憩も出来ず、早々に駆け下りる。
 が、急斜面の上にザレザレで滑ったらどこまで落ちるか判らない。恐々、慎重に下る。椹島と畑薙第一ダム間の東海パルプの道は舗装されてないので車が通ると砂埃が凄い!「今日は温泉に泊まりたいな〜!」と思ったのに、バスは終わり、タクシーは静岡から呼ばなければならないと言う。近くの宿はすべて、満室!「今日もテントか〜!」と思ってトロトロ歩いていたら、池の平で会ったカップルが強引に民宿を頼んでくれ、なんとか温泉と布団に有り付けた。5連休!予約無しの“温泉&きのこ”は甘かった!夕方から雨!なんとラッキー!
 勝手に“還暦記念山行”と名づけての山行だった。お天気に恵まれ、途中、松島Pに会える、と言うことも心強かった。とはいえ、方向音痴、地理音痴の私が何とか道迷いもせず、脱登山道を計画通りに縦走出来たことは奇跡に近いと思っている。








松尾恵の還暦記念山行

シャングリラ
リミ渓谷
カイラス
西黒
米子
北海道
還暦記念山行
白峰三山〜白峰南嶺縦走」
(広河原〜北岳〜農鳥岳〜笹山〜笊が岳〜青薙山〜畑薙第一ダム

松尾 恵

雅拉神山

1度は辿ってみたかった「白峰南嶺」。行くなら北岳から、そして、畑薙ダムまで繋げたい、と、3年前から計画していた。還暦となった今年、単独で行って見ようと思った。実は、単独でのテント山行は初めて。おまけに4泊5日の縦走となる。農鳥小屋から先は山小屋も無い。転付峠までは水場もエスケープルートも無い。突っ込んだら抜けるしかない。心細く、逃げ出したい気持ちに鞭打ってスタートした。



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笊ケ岳(You Tube)

転付峠〜笊ケ岳

ネパールパルチャモの記録


やく
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